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Clear and Refreshing (Sonmi~451 vs. The Windup Girl: Wonder Girls’ “Like Money” and Perfume’s “Spring of Life”)の評論文の意訳

Sonmi-451 vs. The Windup Girl: Wonder Girls’“Like Money" and Perfume’s “Spring of Life”

2012年8月Clear and Refreshing
イアン・マーティン

ソンミ-451対ねじまき少女(注1)
~ワンダーガールズ『Like Money』とPerfume『Spring of Life』~

 2012年にリリースされた日本のテクノポップアイドルPerfumeの『Spring of Life』と韓国のポップスターワンダーガールズの『Like Money』。この2つのユニットは双方とも欧米のファンを獲得しようと活動を始めたばかりである。
 興味深いことにこの2曲のPVは、共に「サイボーグ」というモチーフを用いて制作されている。この2つのユニットのPVの類似点と相違点を検証するとこの2つのユニットが、自分達がファンにどのように受け入れられたいかという願望とファンが自分たちをどのように受け入れたいと思っているかということについて、彼女たちがどのように思っているかを読み取ることができる。

ワンダーガールズ『Like Money』


Perfume『Spring of Life』


 両方のPVにおいてサイボーグを主題としたこと自体、自分たちをパロディー化することによって、この手のポップミュージックが生み出されることに対する皮肉が込められていることは明らかである。
 こういったある意味自虐的な行動は、その他の疑わしい比喩的表現のようになんでも許されるフリーパスではないということは承知しておかなければならない。しかし、ここで重要なのは、彼女たちは自分たち自身をパロディー化しているが、それ自体にはあまり大きな意味を持たせないように気をつけているというところだ。
 
 これこそ私が今から述べようとしている本質だ。「お前は深読みしすぎだ」、「たかがポップミュージックじゃないか」というような考え方は一旦捨てて、「ポップカルチャーはどのように自分と他者とを受け入れているかということを如実に示すバロメーターである」という観点で見てみよう。

 ワンダーガールズが『Like Money』で演じているサイボーグはオースティン・パワーズに出てくる女性形ロボットと女ターミネーターの中間部分(注2)に位置しているものだ。この2つの共通の目的は「支配」である。しかし、ここでいう「支配」とはちょっと違う。

「お金のように愛して、車のように愛して」。これらの歌詞に込められたメッセージは、威張り腐った雰囲気と自意識の過剰さが感じられる。しかし、この物質的なメッセージ(本当にこの部分はパロディーであるのだが)は、彼女たち自身が文字通り自分たちを物質的な「物」と捉えているところにある。

「金、車、女」。そして自分たちも人を飾り立てるアクセサリーの一つにすぎないとあえて認める。この曲は欲深い消費主義社会への賛美歌だ。
「私を買って。だって私にはその価値があるから。」
 この彼女たちの自信はテレビコマーシャルのキャッチコピーのようだ。女ったらしとして名高いAKONとのコラボはさらにそれを強調する。(豆知識:Akonは温かい食事とヒョウ柄の枕カバーを買ったくれたお客さんの電話応答メッセージにあの低音バキバキのボイスで歌を吹きこんでくれるというキャンペーンを実施中だ)

『Like Money』のPVに登場する彼女たちが着ている、ヌメヌメして、すべすべで、けばけばしい体にぴったりと密着した未来的なコスチュームとメンバーの一人が操縦するバットマンに出てくるような車を颯爽と走らせるシーンにそれが如実に現れている。
 このようなぶっ飛んで、キラキラと光り輝く雰囲気は、今や粉々に砕け散ってしまったリーマンショック以前の世界の神々への祈りのようにも見える。

 一方、Perfumeの『Spring of Life』を見てみると全く違うベクトルに向いていることが分かる。
 冒頭部分からこのPVにはいろいろな意味が含まれている。昔からSFの世界では語り尽くされてきた孤独なアンドロイドの物語。『絶対故障だ、てゆうかありえない』的なアンドロイドのイメージを演じるのは彼女たちが最も得意とするところだ。

 PVの中では、ギクシャクとしてぎこちない動きをするアンドロイドの彼女たちが、食べたり、お化粧を楽しんだり、電話でおしゃべりをしたりという「普通の女の子」が普通の日常を楽しむような描写が繰り返されるが、最後にはどんなに人間そっくりであっても、決して本物の人間にはなることができないという人造人間の悲劇、つまり奈落の底に落ちていくまでが描かれている。

 「普通の女の子」になろうとして最後に失敗してしまう悲哀と儚さは、見る者の「守ってあげたい」という守護本能に直接訴えかける。このように不器用でぎこちない仕草は日本のオタク系のファンを夢中にさせる「萌え」の要素をも反映しているのだ。
 Perfumeはワンダーガールズのように我々の「お金」が欲しい訳ではない。彼女たちは我々の「愛」と「保護」を欲しているのだ。

 のっちが壁にぐったりともたれ、顔を繰り返し横に振るシーンは東欧社会主義諸国が崩壊した際、繰り返し放映されたルーマニアの孤児たちが受けた仕打ちのニュース映像を思い起こさせる。彼女の頬を伝う涙のシーンとそのバックに流れる喜びに満ち溢れたコーラスとのコントラストは秀逸だ。

 Perfumeのさらなる強みは、長年一緒に仕事をしてきた才能溢れ、非常に個性的なプロデューサーや振付師等とのチームワークにある。このチームの存在によりPVのなかでも彼女たち自身の存在感はひときわ際立つものとなっている。
 PVの中のセットは非常にシンプルなものであるが、その一つ一つは注意深く選びぬかれているものばかりで、彼女たちのダンスはスピード感に溢れ、喜びに満ちあふれている。
 曲については、最近のPerfumeの定番である旋律が繰り返されるが、考え抜かれたオフビートが最小限のテクノの旋律に滑りこみ、それが素早くチップチューンへと移り変わっていく。
 彼女たちが演じているのはただのアジア人の女性サイボーグではない、彼女たちは自分たちのアジア人女性サイボーグを作り出すことに成功したのだ。

 2つの楽曲、PVは相違点も多いが、共通点も多い。
 英語で歌っているワンダーガールズと未だ日本語歌詞に執着するPerfumeのどちらが良いかといえば喧々諤々の意見が交わされるのであろう。この点については、ワンダーガールズが初めから自分たちを売り込んでいける市場に入っていくためになりふり構わずにカメレオンのように自分たちのスタイルを変化させているのに比べ、Perfumeは自分たちのスタイル、イメージを壊さないよう注意深く行動しているということの証拠だと私は感じている。

 いずれにしても、この2つの楽曲は、PVの話は抜きにしても、女性を「愛」に対して取引的な言い方をすれば、受動的な生き物であると表現していることは明らかである。『Like Money』の愛は、攻撃的なまでの資本主義的性格に満ちた愛。『Spring of Life』の愛は、自己完成の愛だ(つまり、愛されていないということは悲劇的に不完全な生き物であるのだということを示している)。

 さらに深読みしていくと、この2つのPVには興味深い共通点が現れてくる。以前にも触れたことがあるがアジア人女性の形をしているロボットやアンドロイドといったイメージがいかに西洋人にとってしっくりくるかという点である。

 これは私が以前から不思議に感じていたのだが、これらのPVを作ったプロデューサーたちは、「西洋人はアジア人女性をみな同じに見ている」という妄想に固執しており、彼女たち一人ひとりの個性を引き立たせることを最初から諦めてしまっているのではないかとすら感じている。
 彼らこそ、「アジア人女性は、どこか卑屈で、服従的で、お人形のような生き物である」というイメージを未だに引きずっているのではないだろうか。
「西洋人がアジア人女性に持つイメージ」と「アジア人が思っている『西洋人がアジア人女性に持つイメージ』」との違いについて論じたら面白いかもしれない。
 このプロデューサーたちは、西洋人のアジア人女性に対する単純な思考回路に付け込もうとしているのか。それとも嘲笑しているのであろうか?

 この主題について、あまりに大きな意義を置きすぎたかもしれない。第一にこれは女性アイドルに限った話ではないし、日本や韓国で人気の女性アンドロイドのイメージは同じようにヨーロッパやアメリカでも人気があるからだ。しかし、この2つのユニットがこれらのイメージを利用して西洋の市場に飛び込む、少なくとも存在を示していることは、記号論的に言えば人種的な要素の可能性を見せつけられていると感じられるのだ。

 このことについてもう少し違った角度から見てみよう。長年に渡って西洋とアジアの専門家達に固められてきたSFの世界であったロボット工学と遺伝学の分野は、今やアジア、特に日本と韓国が一歩抜き出ていることについては事実だ。

 ワンダーガールズの場合、メンバーの中である種の画一性とシンクロ性をもたせており、Perfumeの場合はあえて三人には外見に特徴的な違いをもたせ、さらにその楽曲の多くにオタク系アイドル的なSFの要素とダフト・パンク(Daft Punk)の影響を受けたテクノサウンドの要素が組み込まれている。
 つまり、基本的な個人レベルで言えば、2つのユニットはかなり異なったイメージを持っていると言っていいだろう。

 今まで述べてきたように、彼女たちは今回のパロディー楽曲について、ここまでのことは考えていないかもしれない。しかし、半分冗談だとしても、彼女たちが感じているポップカルチャーについて多くのことを読み取ることができる。
 最後に、彼女たちが文化的に最も言いたかった重要なことっていうのは、「ロボットやサイボーグ、レプリカントっていうのは死ぬほどカッコイイでしょ!!」っていうことなのだろう。


原文 Sonmi~451 vs. The Windup Girl: Wonder Girls’ “Like Money” and Perfume’s “Spring of Life”

(注1) ソンミ-451:映画「クラウドアトラス」に登場する女性型サイボーグ。韓国の女優ペ・ドゥナが演じる。映画は2013年3月に公開予定。 映画クラウドアトラス 
     ねじまき少女:パオロ・バチガルピの小説「The windup Girl:ねじまき少女」に登場する少女型アンドロイドエミコのこと。日本語翻訳版『ねじまき少女』 (ハヤカワ文庫SF) より。

(注2) 「オースティン・パワーズ」に登場するアンドロイド。http://bit.ly/nsw5Hv 「女性型ターミネーター」http://bit.ly/di8HkH
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capsuleアルバム『Stereo Worxxx』評 2012年3月15日付ジャパンタイムズ記事意訳

2012年3月15日付ジャパンタイムズ記事
LISTENIG POST
capsule “Stereo Worxxx”

BY イアン・マーティン
ジャパンタイムズ特別寄稿

 エレクトロポップ・デュオcapsuleの2011年のヒットアルバム『WORLD OF FANTASY』は、アルバムの前半に『The Music』のような革新的なアイディアの詰まった曲達が揃えられ、それぞれの曲がバラバラで無分別に並べられているように見えながらも(ある意味においてはきっちりと揃えてあると言えるかもしれないが)、快楽的な雰囲気、際立つビート、そしていつもどおりのメロディにほとんど意味を成さない歌詞を乗せたダイナミックなポップソング集であり、全曲BPMを128に揃えたコンセプト・アルバムであると言えたかもしれない。

 今回の新しいアルバム『Stereo Worxxx』は、前作『WORLD OF FANTASY』よりも、2010年のアルバム『PLAYER』に回帰し、ミュージシャン中田ヤスタカが、彼の今までの楽曲で培ったアイディアを昇華させ、さらにその才能で遊び狂ったアルバムと言えるだろう。

 最近、capsuleと彼がプロデュースするPerfumeとの曲調の違いが鮮明になってきたことについて不安に感じていたファンのために言っておくが、このアルバムには2つのユニットがまだ同じ土俵の中にいるとはっきりと判る要素が散りばめられている。

 『Stereo Worxxx』の冒頭の2曲、『Feelin’ Alright』と『Never Let Me Go』はPerfumeが歌ったとしても違和感はなかっただろう。この2曲は『ワンルーム・ディスコ』の焼きまわしではなく、『GAME』や『edge』のような曲を中田ヤスタカがまだ作れるということを証明してくれた。

 こしじまとしこのヴォーカルは、シンプルなメロディと叙情詩的な歌詞のモチーフにそって適度に抑えられ、そのヴォーカルを、音のトーンとテンポの移り変わりごとに、ビートとシンセサイザーが取り囲む。
 
 このアルバムは、全く正反対といってもいい『WORLD OF FANTASY』のような典型的なサウンドのリピート攻撃とイライラさせられるほど甘ったるいフワフワ感のある『JPN』のようなPerfumeのポップソングを、未完成であるものの、融合させたらどうなるかという良い例だ。

 前々作のアルバム『PLAYER』と同じように、この『Stereo Worxxx』には中田ヤスタカの映画サウンドトラック『LIAR GAME』から2曲が取り入れられている。まず『Step on The Floor』。これが素晴らしい出来だ。Perfumeの『VOICE』や前述の『ワンルーム・ディスコ』のような典型的なポップソングに仕上がっている。
 
 中田ヤスタカの作るポップソングは、素晴らしいコーラスに入る前に必要以上に長く残る平凡なメロディを聞かされることがよくあるが、この『Step on The Floor』は同じ事をやると見せかけて、約1分過ぎたあたりから新しいメロディがガンガンと我々の耳に打ち付けてくれる。

 この曲は中田ヤスタカの最高の楽曲の一つだろう。多重なメロディのアレンジとシンプルさは同居させることができるというテクノポップの素晴らしいお手本だ。
 
 2011年の『WORLD OF FANTASY』の大ヒットの余韻は2012年になってもまだ続いているようだ。
 中田ヤスタカは日本の民族音楽と『祭』のリズムのエキスを抽出し、その楽曲の中に取り入れている。『Tapping Beates』は『WORLD OF FANTASY』で培ったアイディアを取り入れ、さらにそれを昇華させている。またもう一つのサウンドトラック曲『All The Way』はタイトルトラック『WORLD OF FANTASY』の続編と言える出来栄えだ。

 その一方で、ほとんど自閉症かと思われる女性と赤ん坊が曲のタイトルを繰り返し叫び続けるという『Dee J』のような曲もある。2011年3月、『STRIKER』や『I JUST WANNA XXX YOU』という、正直なところちょっといただけないのような曲も入っているアルバム『WORLD OF FANTASY』に更に付け加えるにはあまりに馬鹿げすぎていて、中田ヤスタカもこの曲はあえて外し、今回のアルバムに入れたということなのだろう。
 しかしながら、それだけでこのアルバム全体をダメだと言ってしまうのは早計だ。

 まだまだ言いたいことはたくさんあるが、この『Stereo Worxxx』は明白な方向性と主張についてはまだ曖昧なものの、間違いなくターニングポイントとなるアルバムだ。このアルバムはcapsuleと中田ヤスタカのプロデュースするPerfumeの両方のファンの望みを叶えるのか?と思わせるものの、そこは肩透かしを食らわせる。
 
 しかし、最も重要なことは、この2つのユニットが全く相容れないものではないということが明白になったことだ。これは2つのユニットの未来にとって間違いなく良い兆しであるといえるだろう。


原文
 2012年3月15日付ジャパンタイムズ記事 capsuleアルバム『Stereo Worxxx』評
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